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劇的ショウゲキジョウ Member

Bayan Waist Fat

劇的ショウゲキジョウ

主宰/演出

 

 ぽよよん系呑みに行けるデブ。「問いかける」ことを主軸に芸術性の高い舞台構築を目指す演劇人。元劇団夢の遊眠社、現野田MAP主宰野田秀樹氏をこよなく愛し、2013年に同氏の作品「半神」を千種座にて公演。他にもG pitチャレンジフェスティバル審査員、震災チャリティー公演主宰。

2014年「贋作罪と罰」の後、突然の失踪。

翌2015年2月自分の誕生日前にツイッターにひょっこり姿を現し、演劇界に復帰。劇的ショウゲキジョウを再始動。現在に至る。

ちょいと昔の映画なんてものにはそんなに規制がない。

 

 今はタバコがダメだ、暴力がダメだ、エロがダメだ。ダメだといわれるとやってしまいたくなる子どもの気持ちはどこへ行けばいいのか。大体において監督だったり演出だったり脚本家だったりする生き物はいつまでも幼い。幼いがゆえにその剥き出しだった感情が大人になっても剥き出たまんまのダメ人間ばかりだ。ゆえにダメだといわれる表現をしたくなってしまう。このままではイカンと鉄拳制裁を復活させ規正させれば、国にとって立派な表現者になるだろう。すると、表現の自由を返せというデモクラシーが世界中に跳梁跋扈し、そのたびに鉄拳制裁を振るっていけば、立派な国家警察の出来上がりである。と、歴史をふり返ってみる。

 

 ふり返れば、小学校五年生の頃、柴田君という旧友にバカにされてあまりに腹が立ったので乾坤一擲、まだ未成熟な歯で折られつつある暴力的な感情と共に噛み付いた。この柴田君は学年で一番足が早く、頭も地域でもトップクラス、身長も高いという小学校の頃からゴリゴリの勝ち組だった。彼が授業中発言すれば、教師の思考の一歩先を行き、受験をすればトップ合格を果たす、いわゆる神童だった。恐らく彼の人生の中で誰かに噛まれるという事件は後にも先にもあれ一回だろう。ちなみにその柴田君は、当たり前のように東大に進学し、当たり前のように大学院へ行き、現在も日本でトップクラスの頭脳として手腕を発揮していると聞いた。そんな彼ですら弟の頭脳と下の下という話しを聞いたときは頭の良さなんて伸ばしたところで一生上にあがれるもんじゃねえと感じたものだ。

 

 僕はいつ最後にダメなことをしただろうか。そう考えると柴田君に噛み付いて以来、規正されることなんてしちゃいないんじゃないかと思う。最近の若人の中で流行っている、冷蔵庫に入ったり、裸でラーメン屋さんに入る、なんてアバンギャルドなセンスは持ち合わせていないのだ。そんな彼らが演劇触れたらどんな爆発が起きるのか、僕は今から怖くてたまらんのだ。僕のような規正にビクビクしながら、法を遵守し、その中で自分のなかのアングラな部分をひけらかしているビビリ君は淘汰される道しか残っていないのだ。

 

 しかし、そんな中、僕の一筋の光は既製品だ。僕は既製品が好きだ。完成されたレベルの高いものほど、破壊と慈しみのしがいがあるのだ。ある種レイプに近い感情かもしれない。無論、前述の通りビビリの僕にはこれっぽっちの対人への気持ちはかけらもない。が、既製品は購入すればその後はこっちのものだ。だから、その既製品には自分の最後の規正の枷がはずすことが出来る瞬間なんだ。そう自分に言い聞かせ、柴田君とは違った演出家としての僕がここにいる。演出家として下の下だろう。だけど、規正の果て、新しいその瞬間だけの既製品がここにある。是非、僕の鬱屈した規正の果ての暴力的な既製作品を、年二回程度、二時間ほど創るから、観に来て欲しい。それが僕の最後の枷のとれた先なんだ。

 

 そして、ダメな人だなーと思って帰っていただければこれ幸い。

kaz。

制作/宣伝美術

 

 一見大御所、実は素人。まさかの芝居歴二年半。そんなことは感じさせないでかい態度とさりげない謙虚さで名古屋の芝居界に潜伏する。SPACと地点と劇的を愛する雑食すぎる女。こと、あまりのハードルの高さに演出をビクビクさせていることは巷では有名である。

 劇的ショウゲキジョウ「半神」受付チーフをきっかけに「アルヴィン・スプートニクの深海探検」制作、「白黒つかない」(オレンヂスタ)制作補佐、「フクロウガスム」(梟企画)制作など、さらっと大事なとこに潜んでる。

 ふたりの子どもを心から愛するシングルママー。

 

初体験の思い出はきっと死ぬまで、

 

熱い刻印となって心に焼き付けられてるんだと思います。

 

だから、愛とか嫉妬が生まれ続けているのかもしれません。

 

赤ちゃんにおっぱいをふくませる喜びと

 

作品に携わる喜びは何にも代え難い興奮と喜びがそこにあります。

 

今日も劇的が存在できていることに感謝します。

 

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